山川穂高さんが話題になっています。
2023年5月11日に『文春オンライン』が、山川穂高が知人女性への性的な暴行を加えたと報じました。
山川さんを批判する声が多い一方で、これまで応援してきたファンの一部からは
「いい人キャラの山川がまさか・・・」といった落胆する声が多いようです。
今回はそんな山川穂高さんが「いい人」と言われていた頃の世間の声を集めました。
そして山川さんの人柄が分かるような具体的なエピソードを7つ紹介したいと思います。
2024年1月現在、山川穂高選手はソフトバンクホークスに入団して、
新たなスタートを切りました。ぜひ頑張って活躍してほしいですね!
山川穂高は若い頃からいい人キャラだった?
まずは今回の事件を受けて山川穂高選手に対する世間の声を見ていきましょう。
やはり「いい人」だと思っていたからこそ、落胆しているファンは多いようです。
山川選手はチームのムードメーカーであり、プロとしての実力も伴っている稀有な存在だったと言えます。
それだけに応援していたファンからすれば「裏切られた」という気持ちなのかもしれません。
事件を起こす直前も山川氏の人柄を称賛する声は多かったようです。
普段から周囲への気遣いができて礼儀正しいという、万人受けする性格だったようですね。
山川穂高のいい人エピソード7選!
山川選手はいい人、優しい、ストイックと内面の部分が称賛されることが多かったようです。
今回はそれらの具体的な逸話を『いい人エピソード7選』として紹介したいと思います!
エピソード①:15km離れた練習場所まで毎日自転車で通っていた(中学時代)
山川選手は沖縄県那覇市の出身で那覇市立城北中学校に通っていました。
同時期に「SOLA沖縄」という硬式野球クラブチームにも所属していたことが有名です。
山川選手の自宅からSOLA沖縄の練習場所まではなんと15kmほど離れていたようです!
自転車の平均時速は15kmほどと言われていますので、
片道1時間かけて週4日の練習に参加していたということになりますね。
しかも平日は学校が終わってからクラブチームの練習に参加していたわけですから、
山川選手の当時からのストイックさが窺えます。
ちなみにSOLA沖縄は、沖縄県では有名なクラブチームで
読売ジャイアンツの大城卓三選手も同クラブチームの出身です。
大城卓三選手も2023年のWBCメンバーの一員でしたので
沖縄県の一クラブチーム出身者が2名も同時にWBCに出場したということになります。
SOLA沖縄の練習はとても厳しかったそうで、走り込みやバットを振ることはもちろん
礼儀作法に関しても徹底的に叩き込まれたんだとか。
スパイクやグローブが汚れたらピカピカになるまで磨かないと素手素足で練習をやらされてしまうほどの指導ぶりだったそうです。
山川選手が「礼儀正しい」などと人柄を称賛される理由の1つはこのチームでの指導にルーツがあるかもしれませんね。
エピソード②:高橋由伸からもらったバットが折れるまで練習
山川穂高選手は中学時代に当時巨人の選手として活躍していた高橋由伸選手の使用したバットが景品で当たったことがあります。
有名なスター選手のバットをもらえたことが嬉しかった山川選手は、
そのバットでバッティング練習に没頭し、練習のしすぎですぐにバットが折れてしまったそうですw
嬉しくて素直に練習に没頭するのは少年のようで、なんとなく好感が持てますね。
エピソード③:書道8段
山川穂高選手は野球だけでなく書道やピアノも習っていたというのは有名な話です。
山川穂高選手は書道がめちゃくちゃうまくて書道8段だそうです。
書道は最高段位が10段までと言われているので、じゅうぶん書道教室が開けるレベルですね!
プロ野球選手でありながら書道8段まで極めることができるストイックさは、
よほど自分に厳しくないと持続できないと思います。
エピソード④:ホームランでお母さんが涙・・・。(高校時代)
中学でのクラブチームの経験を経て、山川選手は沖縄県立中部商業高校へ進学しました。
甲子園の常連ではありませんが、過去に2度甲子園出場経験のある高校です。
この学校は上下関係が厳しい学校であり、
山川選手は1年のときにはベンチ入りさえ出来ず苦悩の日々を送っていたんだとか。
中学時代から誰よりもストイックに練習していたという自負もあったなかで
結果を残すチャンスすら与えられなかったということで、辛い日々だったのではないかと推察します。
そんな事情もあり、一時期は野球を辞めたいという思いもあったそうです。
そこでお母様に「辞めたい」と告げたところ、
別にいいよ
といわれ拍子抜けしてしまったそうですw
ただ、「せっかくだから次の試合までやってみたら?」と言われ、続けることに。
そして、11月の1年生のみが出場する大会で4番を任され人生初のホームランを打ったそうです!
のちに、山川選手は「あの1本がなければ野球を辞めてた」と話しています。
人生を決めた1本だったと言えるでしょうね。
お母様もこのときのホームランをビデオカメラで撮影しながら観戦していたそうですが、
普段はあまり感情を表に出すことのないお母様が声を上げて嬉し泣きしてしまったそうです。
母子家庭で育った山川選手の、お母様との絆の深さが分かる感動的なエピソードですよね。
エピソード⑤:入団時の契約金7000万円で「お母さんに車を買ってあげたい」
山川穂高選手は2013年10月に行われたプロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズに2位で指名されました。
契約金は7000万円、年俸1200万円で契約を結んだわけですが、
当時「契約金の使い道は?」と記者から聞かれ、
すかさず「お母さんにかわいい車を買ってあげたい」と答えたそうです。
当時の山川選手は大学4年生の22歳。
一般的な22歳の大学生なら7000万円もの大金が手に入ったら
「外車買いますね、ハイ!ポルシェとかいいすね」などと自分が買う車を即答しそうですよねw
自分を育ててくれたお母様への感謝の気持ちが相当強いことが分かりますね。
エピソード⑥:死球(デッドボール)を与えてしまった選手に率先して謝罪
山川選手は自身のチームの投手が相手チームの打者に死球(デッドボール)を与えてしまったときに
率先して頭を下げて謝罪する姿がたびたび称賛されています。
西武ライオンズ在籍時の試合でもそうでしたが、
特にWBCでチェコ代表選手に対してもデッドボールを与えたときに自分の円陣を切り上げて相手に駆け寄りました。
その姿はなんとチェコの選手から感謝されるほどでした!
デッドボールで頭を下げてしまうと、自分のチームメイトである投手が悪いことになってしまうので、
『頭を下げるべきではない』という見方をする人もいますが、
山川選手の場合は「当ててしまって相手が痛がっているんだから、人としてまず謝るべき」という
スポーツマンシップに則った信条があるのではないかと思います。
エピソード⑦:西武入団の出陣式で「アグー(黒豚)と呼んでください」
西武に入団して間もない頃の出陣式で、山川選手はインパクトのある自己紹介を披露しました。
「皆さん、アグーと呼んでください!アグーは沖縄の高級黒豚です」とアピール。
自身を豚に例えるユーモアと、沖縄出身であることもしっかりと記憶に残るように伝えた自己紹介がとても好評だったようです。
人を楽しませたいという山川選手の元々の性格が分かりますし、
一発で人の記憶に残すような挨拶を思いつく頭の良さも分かるようなエピソードですね!
まとめ
今回は山川穂高選手の人柄を称賛する世間の声を集めた上で、人柄が分かるようなエピソードを紹介しました。
2024年現在、山川穂高選手はソフトバンクホークスへの入団が決まり、活躍が期待されています。
スキャンダルはあったものの、本人と当事者の間でトラブルは解決しており不起訴となっているため
再び「山川選手らしさ」を発揮してマウンドで活躍する姿が見たいですね。